その四十六
「わら人形」
2000.6.9（金）
「マイタウンジュン」、この店には一日必ず一回は行っている。
朝九時から夜十二時まで、モーニング、ランチ、酒類と、多目的喫茶店と言うか食べ物には事欠かない。
もともと兄弟子の伸治兄さんの知り合いで、そこで落語会もやっていた。
保谷へ越して間もない頃、駐輪場から駅へ向かう途中、知らない店の中から「おーい、平治」という声。見ると、伸治兄さん。
「お茶でも飲んでけよ」とマスター夫婦に紹介された。いろいろ話を聞くと、ママさんは大分県の竹田出身。同郷ということで話がはずみ、それがきっかけで通い始めてもう九年は経つ。
そういう関係で、マスター夫婦には独演會や地域寄席にはよく来てもらっている。特にママさんは、いまやちょっとした演芸評論家のように耳が肥えている。
そのママさんから、「最近、平ちゃん、この手の噺好きだねぇ」と言われたのが「わら人形」である。
いわゆる、ワッと笑える噺ではなく、あまり後味のよくない噺。「もう半分」「たちきり」と日を置かず続けて聞いたせいだろう。
仕方ないといえばそう。独演會では必ず二席のネタおろしをする。二席演る時は、一席は笑いの多い噺、もう一席はお客様にサービスと言うか、「こういう噺もあるんですよ」という意味で、名人物、怪談、人情噺等を演る。その方が、お客様は飽きずに聞けるからである。
その上、長い間やっている落語会は根多が多く出すぎて、当然珍しい噺をネタ出ししてしまう。
この間の「東穀寄席」もそうである。もう七年目になる。奇数月の最終金曜日、人形町の東京穀物取引所で開かれる。
前は手で穀物の取引をしていたそうだが、今はみんなコンピューター。そのホールが空いているので何かやりたいと持ち掛けられ、 発起人の重盛の人形焼の社長がメンバーを集めて勉強会として始まった。
二ツ目中心に、芸に精進してくれ、「先物買い」という趣旨で動き出した会である。
その会では、もう二百席以上の噺が出ているが、「わら人形」はまだ出ていなかった。まぁ、やる人も少ない。
この噺は、入船亭扇橋師匠に教わった。とても人情味のある師匠である。
噺の荒筋は、遠州屋という糠屋の一人娘のお熊、駆け落ちの末、江戸へ戻って来たが、家も両親もなくなっていた。やけを起こして、千住の女郎屋へ身を沈めた。そこへ西念という坊さんが念仏をあげにちょいちょいやって来る。
その西念にお熊が「旦那が身請けをしてくれ、家を買ってくれたが、後金の二十両がどうしても都合がつかない。二十両あれば西念さんを引き取って面倒見るのに」と持ち掛ける。
西念は年寄りの寂しさから、隠し持っていた二十両、そっくりお熊へ渡す。しかし、実はそれはウソ。西念の金を騙し取る為の狂言だったのだ。金を取られ、激怒する西念。それから家へ閉じこもりっぱなし。
そこへ甥の仁吉が来て様子を伺う。家の鍋の中を見るなと西念にしつこく言われるが、仁吉はついに鍋の中を見てしまう。そこには、ぐつぐつ煮立った油の中へわら人形が浮いていた。何故だと訳を聞き、納得。
「わらの人形に五寸釘ってな聞いたことあらぁ。油炒めってな、初めてだ。どういう訳だい、おじさん」
「釘じゃ効かねぇよ。相手の女が糠屋の娘だ」というサゲ。
「糠に釘」という伏線が、オチにつながる。
荒筋を聞いてもわかるように、笑いがほとんどない。広小路亭でこの噺を演ったら、後の出番の三遊亭金遊師匠が、「『わら人形』『鰍沢』なんてな、芝居でやるといいんだろうな」と言っていた。
さて、この噺の難しい所は、お熊。初めは親切な女が、金をもらってから急変する。悪女になるわけだが、これも程度の問題。心の中でイヤな女を演じようとすると、救いようのない噺になってしまう。あくまでも落語という心構えがなければいけない。
それから、扇橋師匠の言葉。西念が突き飛ばされ、額から血を流す。そこへ雨が降り出す。今の時季は「どんより曇った梅雨空から雨がサー」、秋口には「時雨がサー」、季節によって変えられるという、さすが俳句もたしなむ宗匠のありがたいお言葉。
その後、仁吉が「ごめん下さいまし」と大家さんを訪ねる。
「雨がサー」「ごめん下さいまし」、このところは、ひとっ調子、声を張る。場面転換、時の経過を一言で表す。
西念が仁吉に「鍋ん中見るな」と何度も念を押すところ。その日によって、おどろおどろしく言ったり、軽く言ったりしている。手探りの状態である。やっぱり、サッパリやった方がいいのかな。
マクラの糠の話は、田舎で育っているので、釣りの寄せエサ、筍のアク取り、糠漬けなど、思い出話をしていれば、季節感も出ていいんじゃないかなと思う。
いろいろ書いて来たが、あくまでお客様へのサービスで覚えた噺。やっぱり落語は笑わせなくちゃ。泣かせるより、笑わせる方が何倍も難しい。逃げちゃいけないってこと。
それを忘れたら、「平ちゃん、最近パチンコばっかりやってるから下手になってんじゃないの？」と喫茶店のママに言われちゃうかな。